岸田文雄首相率いる岸田自公政権は10月4日、発足から丸1年を迎えた。国政選挙連勝と与党の議席数は万全だが、国内外に難題山積で〈薄氷〉を踏む政権運営を強いられているのが実態だ。現場軽視だった「官邸農政」是正、払しょくへ8月の内閣改造で新農相になった自民農林族重鎮・野村哲郎氏の農政手腕も改めて問われる。
〈軍師不在〉で「黄金の3年」は幻に
岸田首相にとって、政権発足から1年となる10月4日は「大安」。酒豪の首相にとって、本来なら官房長官、副長官をはじめ、官邸スタッフらと美酒を味わいながら、ある程度の長期政権の策を探るつもりだったに違いない。だが目論見は崩れ去っている。岸田政権への世論の「逆風」が一向にやまないのだ。
振り返れば、与党勝利となった先の参院選投開票日の7月10日日曜日も同じ「大安」だった。政治家が験を担ぐ。だから特に縁起の悪い「仏滅」には国政選挙の投票日を避けたがる。政治にとって、数は力だ。政権運営にとって国政選挙の勝利こそが、何よりもエネルギーになり、次の展望も見えてくる。憲政史上最長となった安倍晋三元首相の例が典型だ。だが、国政選挙連勝にもかかわらず岸田氏にとってある時期を境に、順風は逆風に置き換わる。功罪相半ばの安倍氏「国葬」実施見切り発車と、霊感商法被害などで国民的関心が高い「旧統一教会問題と政治」が一向に解決せずに、世論の低迷、内閣支持率が日を追うごとに右肩下がりとなっているのだ。
政権失速の要因は〈軍師〉の不在が大きい。円安に伴う物価高、コロナ感染拡大、「政治と宗教」、「国葬」批判など、不運な巡り会わせもあるが、問題は政権を陰で支え危機管理対応や臨機応変に浮揚策を遂行する〈軍師〉がいないことだ。安倍政権時は菅義偉官房長官がいた。次の菅政権時にはその菅官房長官不在で1年の短期政権に終わった。そして今の岸田政権も、前内閣の轍を踏みかねない。
〈政変〉号砲は安倍「国葬」後と臨時国会
それにしても、今後の政局を握るのは、やはりキングメーカーとして死してなお影響力が残る安倍氏、正確には安倍氏の遺影・威光・あるいは残影だ。
難局打開への解散・総選選挙を誘引しかねない〈政変〉への号砲は、「国葬」終了後、さらには10月3日開会の臨時国会を皮切りに発せられたとみていい。補正予算案の審議を含む当国会で果たして首相、政権が国民の信頼を再び取り戻せるのか。当面の政権の賞味期限はそこにかかっている。
支持率「危険水域」に近づく
ここで、国民の内閣の信頼度が一目でわかる内閣支持率の最近の動向を見よう。新聞、メディアによって、数字が大きく異なるのは読者層の違いだ。最大部数を誇る保守系の読売は、併読紙がスポーツ紙の割合が高く、自民党支持層が多い。そこで内閣支持率は高めに出る。逆に朝日はリベラル層、政権懐疑派が目立ち内閣支持率は低めに出がちだ。
そこでまずは中立的な共同通信社の最近の世論調査を参考にしたい。9月17、18日の全国電話世論調査によると岸田内閣支持率は40・2パーセント、不支持率46・5パーセントで、初めて不支持が上回った。不支持は40代以上の高年齢層ほど高い傾向にある。
ほぼ同時期に実施した日経世論調査でも支持43パーセント、不支持49パーセントと同様の結果となった。同紙の購読者は経営者や管理職層が多く、保守の色彩が強い。そこでも強い逆風に岸田首相の危機感は高まっていると見ていい。
さて、政権の危険水域は支持率30パーセント割れ。限りなくそこに近づくことになれば、安倍氏亡き自民最大派閥・安倍派の四分五裂も伴う政変、政局の芽が大きくなってきかねない。調査法が他メディアと違うため単純比較はできないが、すでに時事通信の内閣支持率は32・3パーセントまで落ち込んでいる。
「三重苦」酪農をどうするのか
歯止めが利かない円安などで物価高をどうするのか。農業分野では生産資材や飼料価格など高止まりし、農業経営を圧迫したままだ。特に、乳製品過剰による生乳抑制、資材高、個体販売など副産物価格低迷の「三重苦」に直面している酪農の危機をどう救うのかは、大きな課題だ。
11月からの飲用向け生産者価格キロ10円引き上げに加え、政府・自民党は自給飼料強化を要件に都府県で経産牛1頭当たり1万円(北海道は同7200円)を交付する緊急対策なども検討中だ。18年間にわたり自民農林族一筋だった鹿児島選出の野村哲郎農相への手腕に期待も大きい。野村氏には、食料安全保障の再構築とともに、安倍長期政権時代に生産現場無視で規制改革にまい進した「官邸農政」の抜本見直しも問われる。
畜酪緊急対策に504億円手当て
こうした中で政府は9月20日、飼料高を受けた畜産・酪農の緊急対策に2022年度予算の予備費から504億円の支出を閣議決定した。ただ、これらも期間限定の当座の措置で、畜酪経営者の不安解消には程遠いのが実態だ。
柱の配合飼料高騰対策には430億円を充て、価格安定制度による補填とは別に1トン当たり6750円を交付。これは、高騰が見込まれる10~12月期の飼料コストについて、農家負担が7~9月期と同水準になるようになるように国が支援するもので、来年2月に交付する予定だ。
酪農対策には74億円を充て、11月の飲用乳価引き上げ前の4~10月にコストが上がった分の一部を補填する。交付単価は都府県が経産牛1頭当たり1万円、北海道は同7200円。高騰する購入粗飼料依存度が高い都府県に支援を厚く設定した。交付は11月以降となる。いずれの対策も、生産コスト削減や配合飼料低減に取り組むことが要件で、農水省が示す取り組みメニューから複数を選んで実践する必要がある。
「安倍政治」とは何だったのか
「国葬」を区切りに、強権を伴った「アベ政治」の解消、事実上のアベノミクス終焉が近づく。こうした中で、かつての安倍政権下で表面化した「官邸農政」の実相を見よう。2020年以降から直近にかけいくつかの政治や農政分析を深掘り著書も出ており、それらも参考に読み解きたい。
・検証・安倍政治の光と影
結局、今の岸田政権も含めこの間の政治を理解し、農政の在り方を探るためにも憲政史上最長の政権となり、光と影の両方を伴いながらさまざまな取り組みを実施した2012年末以降の第2次安倍政権、いや個人に帰属する〈アベ政治〉とは何だったのかに行き着く。〈アベ政治〉を分析した良書を参考に、読み解いてみよう。『検証 安倍政権 保守とリアリズムの政治』(文春新書)は、中北浩爾氏ら気鋭の政治学者がテーマごとに論考した。単なる論文なら取るに足らないが、安倍氏本人以下50人近い政権に関わった人物のヒアリングも加え補強したため、新聞記事を引用した評論とはならず中身に厚みと信憑性を増した。
安倍政権の中枢が安倍氏本人、菅義偉官房長官、経産省などを中心とした「官邸官僚」だったことが改めて分かる。官僚幹部人事には内閣人事局の設置とともに菅氏自身が深く関わる。同著第3章「官邸主導」で「官邸の意向に沿って、従来のキャリアパスから外れる人事が行われるようになった」として、事例として農協改革を進めた農水省・奥原正明氏の次官起用などを挙げた。以前、森山裕元農相に「なぜ農業団体と意思疎通ができない奥原氏を次官に上げたのか」と聞いたことがある。奥原氏は森山農相時に事務次官となったからだ。森山氏は「あれは私ではない。官房長官人事だ」と言った。事実だろう。全中の政治力をそぎ、急進的な農協改革を唱え農協制度に精通する異能の官僚・奥原氏の手腕が欠かせない。「官邸農政」主導の農政改革は全中外しにとどまらず、株式会社化も迫った全農改革、現行指定団体制度の廃止を含む生乳改革につながる。
同著第5章「TPP・通商」では農協改革とTPP交渉の表裏一体の関係を説く。特に「族を以て族を制す」と安倍氏自ら自民農林族幹部の西川公也氏を党TPP対策委員長に任命、農相、党農林部会長にも非農林系人材を充てた。TPP参加反対の急先鋒だが安倍氏に近い江藤拓氏にも日米首脳会談直後に「センシティブ品目の存在が認められた」と直接電話を入れ、配慮を示した。同著では「安倍政権では農業保護と貿易自由化の両派議員に対して、巧に重要ポスト振り分け、TPP締結には避けられない農業の自由化を図ろうとした」「安倍政権ではこうした農協改革は、TPP交渉の障害を取り除くことも意味した」と見る。
だが、実際には地域JAは独自の創意で事業展開をしている。なぜ全中を農協法から外すことが農業成長産業化につながるのか。2015年前後の急進的な農協改革論議当時、農業団体全国連幹部が自民農林幹部で農相も務めた西川公也氏に「全中の一般社団法人化と農業成長産業化はどう結び付くのか」と質すと、「あちらが言っているからだよ」と、暗に官邸の強い意向を示唆したという。つまりは農業活性化というより既得権の岩盤とされた全中が標的だったことを示す。
「陥穽」官邸農政と生乳改革
「安倍農政」の規制改革で、いまなお課題が生産現場を苦しめている象徴は生乳改革だ。いわば「陥穽」農政のつけが、酪農危機となっている。それは改正畜産経営安定法の制度欠陥とも言えるものだ。
・乳製品在庫スキーム始動
「生乳廃棄問題」は現在の酪農に置かれた現状を象徴した出来事に過ぎない。廃棄回避で一件落着とはいかない。喫緊の生乳廃棄回避、当面の脱脂粉乳在庫削減、生乳需給安定の全体フレーム構築という生乳需給改善〈3段ロケット〉の1段目が点火しただけだ。
2021年年末から22年初めの「生乳廃棄問題」は、関係者の懸命の努力でどうにか乗り切った。問題は22年度4月以降の対応だ。脱粉2万5000トン削減のスキームも動き出した。ただ問題は、水道に例えれば蛇口、つまりは川上の酪農家段階の需給に応じた生産抑制がどれほど効くのか。そして根本問題は、コロナ禍で主力の飲用牛乳消費を伸ばし、需要が底堅い国産チーズ増産、脱粉削減に効果的なヨーグルト需要拡大しかない。
・〈不安定〉招く改正畜産経営安定法
過剰下で国家貿易としての輸入に酪農現場が違和感を持つのはもっともだ。
過剰なら国家が食料安全保障上の備蓄を兼ね在庫として市場隔離すればいい。コメでも100万トン規模の回転備蓄を実施している。だが乳製品の隔離放棄は、22年前の2000年5月の加工原料乳生産者補給金等暫定措置法の一部改正で、いわゆる不足払い制度の廃止、農畜産業振興事業団による国内産指定乳製品買い入れの廃止が決まった。それ以降、生産者自らの計画生産で需給調整を行う仕組みに変わったが、今、改めて国が乳製品市場隔離から手を引いたことによる需給調整機能の脆弱さが浮き彫りとなっている。
コロナ禍の生乳過剰で需給調整を一層困難にしているのは、陥穽「官邸農政」の一つで2018年4月施行の改正畜安法だ。法律名の畜産経営安定とは逆で「不安定」を招いている。
元々、夏場の首都圏などの飲用牛乳不足をはじめ国内の生乳需給逼迫を踏まえ、「不足時」の対応を前提としている。酪農家個人の自由度を増し所得向上につながるとの趣旨で、改正法で指定団体の一元集荷を廃止、生乳流通の自由化を促した。
結果、一定数の酪農家を除き生乳販売の「入り口」「蛇口」が増え、需給コントロールがしにくくなった。制度の趣旨の「需給と経営の安定」とは真逆の事態が進んでいる。指定団体とその他業者に生乳を出荷する「二股出荷」「いいとこ取り」も増えた。
これは過度の自由化、規制緩和による官邸農政が招いた。2015年前後の農協中央会制度廃止など農協改革、さらには全農を標的とした改革と合せ生乳制度改革が進められた。酪農に照準が当てられたのは、指定団体の組織結集率、共販率が95パーセント前後と高く、「自由な競争を阻害している」との指摘からだ。
指定団体一元集荷廃止、生乳無条件全量委託を認めない改正畜安法の問題点は、食料・農業・農村政策審議会畜産部会などのたびに、生産者団体、乳業メーカー双方から繰り返し指摘されている。だが、制度の検証は、規制改革推進会議の要望に添い、独占禁止法に基づく指定団体の組織的な圧力の有無などに焦点が当たっている。むろん独禁法違反は論外だが、制度欠陥の検証の要諦はそんなところにない。「需給と経営の安定」に資するか。それがなされていないのなら、どう制度を政策的に補強するかに移らなければならない。今こそ「真」の制度検証が必要な時だ。
(次回「透視眼」は12月号)