写真=幹事長、農相など自民党要職、各閣僚を歴任した石破茂氏(手前右から4人目)は農業団体にも人気が高い(筆者らと農業団体広報担当者の懇親会で)
巨大与党・自民党の総裁選は、利害と打算、怨念と嫉妬渦巻く中で次期首相を決める権力闘争に他ならない。最大テーマは自民党を窮地に追い込んでいる「政治とカネ」問題だが、肝心の食料安全保障は埋没しかねない。政治は「一寸先は闇」だ。総裁選を農政記者45年となる筆者の老練の眼で眺めれば、また別の景色も見えてくる。
キーパーソンは自民農林族
今回の総裁選は自民党始まって以来の別世界の光景が広がっている。派閥のタガが一挙に外れ、若手や旧派閥から複数の候補者は手を挙げるなど混戦となっている。筆者が何度か取材した政治家も多い。注目したいのは、今回の総裁選のキーパーソンが自民農林族ということだ。
自民農林族にはインナーと呼ばれる幹部会議があり、事前に農林関係会議に諮る農政課題を協議する。インナーは農相経験者と農林部会長などで構成するが、今回候補と報道された林芳正官房長官、斎藤健経産相は閣僚になる前まで長くインナーを務めた。さらに、石破茂元幹事長は農相、小泉進次郎氏は農林部会長経験者で、かつて農政に深くかかわった。
岸田退陣で「農」語らず
次回10月号「透視眼」で岸田政権の成果と課題「検証・岸田政権」を詳述するが、お盆直前の8月14日夕方に突然の総裁選不出馬表明、つまりは退陣を明らかにした岸田文雄首相で、看過できないことがあった。
政治不信の窮まった末の退陣表明。「組織の長として責任を取ることにいささかの躊躇もない」とした。実際は最後の最後まで総裁再選を探り続け万策尽きた。前日8月13日の首相動静を見よう。夕方18時59分から19時44分までパリ五輪日本選手団の表敬。大活躍した選手らの金メダルをながめ満面の笑み。直後に官邸を出発し、農業団体も総会で使う東京・丸の内のパレスホテル東京へ。同ホテル内の日本料理店「和田倉」で秘書官と夕食。21時47分、同ホテル発、同56分に公邸着とある。
首相動静でポイントは二つ。五輪凱旋の高揚は、首相の派閥・宏池会の創始者、池田勇人元首相と似る。病魔に侵された池田氏はちょうど60年前の1964年、東京五輪の閉会式直後に「さよなら東京」というアナウンサーの声をしみじみ聞き入り、「さよならか。いい言葉だ」とつぶやき首相辞任を表明した。岸田氏も同じ感慨に浸ったのかもしれない。
問題はその後の2時間近い秘書官との食事にある。幹部政治家が料理店を使う場合、通常はいくつもの個室が完備され中の人員は分からない。今にして思えば、おそらくその一つに、退陣の文章を起案したとされる首相腹心の木原誠二氏が待っていて首相と詰めの協議、翌日夕方の退陣表明の段取りなどを話し合ったのだろう。首相がホテルを出れば記者たちは移動する。遅れて出れば木原氏の存在は分からないはずだ。
冒頭の〈看過できない〉との指摘だが、退陣の際に岸田政権の仕事を自画自賛したが「農」について語られることはなかった。岸田氏といえばコロナ禍で生乳処理が問題となった年末に「もっと牛乳を飲もう」と国民に呼びかけた。改正基本法もそれなりに対応した。だが、首相の頭の中には本当は「農」のことはあまりなかったかもしれない。
そして今回の総裁選。せっかく盛り上がった食料安保はどう語られるのか。「政治とカネ」。郡司の安全保障、憲法改正ばかりなら、「農業」「地方」「食料安保」は軽視されかねない。
2トップ小泉と石破
総裁選の2トップは国民的人気が高い小泉、石破両氏とも見られる。それに現閣僚の河野太郎、高市早苗氏ら。さらには若手のコバホークこと小林鷹之元経済安保相などが絡む。先の二人を筆者は何度も取材を重ねてきた。特に長年の付き合いは石破氏だ。農林部会の畜産小委員長などを務めていたこともあり、かつてはよく新聞記者の夜回りと称す取材の一環で東京・九段の議員宿舎は訪ねいろいろな話をした。石破氏は今でも農業団体にも人気がある。
石破氏は生真面目、勉強家で丁寧な方である。よく本を読み、著書も政治家の中では有数の多さ。日本酒を飲みだすと止まらない。太り気味の一因でもある。近くで見ていて強く感じたのは安倍氏と全く肌が合わない。いや天敵と言ってもいい関係だ。お互い目を合わせない。一度、東京・永田町の自民党本部の議員専用エレベーターで両人と一緒になったことがあるが、話は全くせず独特の冷たい空気だけが流れていたことを覚えている。安倍氏は石破氏を本人が望んだ初代の地方創生大臣として処遇したことがある。以前、石破氏に筆者はこう言ったことがある。「早く内閣を出た方がいい。でないと飼い殺しになる」と。石破氏はその時は黙って聞いていた。やがてしばらくして閣外に出て、再び総理を目指す。
小泉氏「指定団体の現状維持はあり得ない」
小泉氏は若くして利害と打算の政治本質を嗅ぎ取った。誰も小泉とは言わない。父で元首相の純一郎の存在もあり、進次郎と下の名前で呼ぶ。風を読み機転が利く。記者も一人一人の名前をすぐ覚え「〇×さん」と呼んでくれるので、なんとなく親近感がわいてしまう。そんな人たらしの一面もある。
筆者に小泉氏が名刺を見ながら「新聞の論説委員は重要なポストですよね。社論を方向付けますよね」と言ったことがある。2015年前後の「農協改革」で自民農林部会長として全農改革の旗振り役を担う。突然、東京・大手町の農協の総本山JAビルを訪れ、奥野長衛全中会長(当時)と会談。終わると緊急の会見をして「全農がどんな仕事をしているか見たい。役員室に案内してほしい」と言い出し、筆者も小泉氏、全農専務と一緒にJAビルのエレベーターに同乗した。
全農改革とともに突然、生乳制度改革も標的に上った。農協事業を精査すると指定団体の生乳共販率が98%と他品目より突出しており農協独占ではないかと指摘が出たのだ。生乳は生鮮品で共販による一元集荷・処理・多元販売が最も合理的だとの酪農制度の特殊性を無視した指摘だった。酪農団体は農林部会長だった小泉氏に指定団体制度の維持を何度か陳情したが、「大前提は改革。現状維持はあり得ない」と追い帰された。
〈三人組〉小泉・西川・奥原が動く
農政の素人だった小泉氏がある程度農政に切り込めたのは当時の安倍首相、菅官房長官の後押し、「官邸農政」の仕組みが機能したからに他ならない。官邸主導だが、肝心の党側の農政責任者の一人、農林部会長が官邸と実施的に二人三脚で改革を進めた構図だ。
小泉、農林族幹部で農協攻撃へと手の平を返した西川公也氏、農水省は反農協・大規模農業推進論者の奥原正明経営局長(後に菅人事で異例の事務次官に昇格した)の三人組・農政改革トリオがフル稼働した。マスコミ注目を集める農政改革、農協改革の〈進次郎劇場〉が連日繰り広げられた。
そして今、進次郎首相現実味の報道も増えてきた。農業団体にとって警戒すべき政権体制となるかもしれない。
「進次郎政権」になったら
〈うん、あり得る〉と思わずうなずいた記事がある。毎日新聞8月24日付2面肩のコラム「土記」の伊藤智永専門編集委員の「進次郎政権になったら」。冒頭、近未来政治「夢」日記とある。つまりはフィクションですというわけだ。そうすると新聞記者は本音が書ける。
同コラムにこうある。〈9月28日〉次期政権人事の骨格が載っている。官房長官に実力派の斎藤健経産相、党幹事長に石破氏、党副総裁に茂木敏充幹事長、上川陽子外相は留任。そして進次郎氏を全面支援した菅氏の副総理入閣が焦点と。いつも伊藤編集委の記事の切れ味は格別だ。9月末には新総裁、組閣人事の骨格も分かるだろう。特に農林族でもある斎藤官房長官、さらには国民的人気のある石破氏の幹事長。さてどうなるか。
どう総括「アベ政治」「官邸農政」
農政関係者として気になるのは、総裁選を通じて憲政史上最長の政権となった安倍晋三元首相の「官邸主導」の強権的な政治手法の総括が、いまだになされていないことだろう。総裁選を通じ、「アベ政治」の総括もすべきだ。
こうした政治に反対した人々からは反戦俳人・金子兜太の揮毫にもちなみカタカナ表記の「アベ政治を許さない」として流布した。農政では「官邸農政」と呼ばれ、生産現場の実態を無視した全中の農協法外しの「農協改革」、株式会社化も求めた「全農改革」、現行指定団体制度廃止を迫った「生乳制度改革」が強行された。酪農では「官邸農政」の沿った改正畜安法施行で、その余波が今も続く。
詳しくは次の3冊を薦めたい。『検証 安倍政権 保守とリアリズムの政治』(中北浩爾他、文春新書)『天地の防人 食農大転換と共創社会』(伊本克宜、KKベストブック)『錯覚の権力者たち 狙われた農協』(稲田宗一郎、遊行社)だ。
『検証 安倍政権』は気鋭の政治学者らが安倍氏本人を含め政権中心にインタビューし核心を突く。一方で彼らが虚偽の証言をする可能性も否定できない。『天地の防人』は第6章で「官邸農政と終焉アベノミクス」を挙げ、安倍氏狙撃の場面から始まる。理不尽な農協改革、酪農改革をTPP推進と絡め「族を以て族を制する」政治構図を読み解く。
『錯覚の権力者たち』はフィクションだが、誰も内実が分からない「官邸農政」の〈暗部〉を照らす。官邸の意を受け農協改革を担う主人公の言葉がことの本質を示す。総理に農協改革のシナリオを説明する際に「しかしこれを実行すれば日本農業はなくなるかもしれません」「そこにはトリックがあります。農協改革と日本農業の成長産業化は論理的につながらず、つまり因果関係はありません」と。農協改革の本質を言い当てているようだ。
(次回「透視眼」は10月号。テーマは「検証・岸田政権と新政権の課題」)