酪農家はこんな理不尽の提言に憤りと先行き不安を一段と募らせたことだろう。「現行の指定生乳生産者団体制度を廃止」と明記した政府の規制改革会議農業ワーキンググループ(WG)の酪農提言に反発の声が強まる一方だ。指定団体制度廃止は生産現場に混乱と動揺だけを与えている。結局、規制改革の「答申」は「廃止」の二文字は消えた。だがこれは七月参議院選をにらみ先送りしただけと見たほうがいい。「透視眼」で今秋の近未来をのぞけば、酪農の岩盤に風穴を開けようとの深謀遠慮は自由化の荒波と共に一段と強まる気配だ。
大手マスコミが自由化地ならし
五月十六日、自民党本部九階での酪政連常任・中央合同委員会は会場に緊張がみなぎっていた。その週末に財界の意を呈し自由化の地ならし役を担ってきた大手マスコミ紙が全国一面で「生乳流通、JA独占撤廃」の見出しで政府が懸案の現行指定団体制度の大幅な改廃に踏み切ると報じた。一方で日本農業新聞は地震被災地・熊本での森山裕農相の「指定団体の役割は非常に大きい。この役割や機能が損なわれるような改革はあり得ない」との談話を一面で掲載した。
「いったいどっちが本当なんだ」。出席者の不安を募った。いずれにしても水面下で指定団体の扱いを巡り政府・与党内の激しいせめぎあいを暗示していた。
マスコミ業界の言葉で「飛ばし」というこの手の記事が出る時は、内外の注目を集める規制緩和情報を官邸筋から意図的に協力的な一部記者に流す「観測球」との位置づけが多い。ここで関係者の反応を見る。猛反発が出れば修正し場合によっては一時引っ込める。反発がさほどでもない場合は改革を予定通り進める。記事の信ぴょう性を聞かれても政府は知らないといいつつ「指定団体の今日的な存在意義を問い直す段階であることは事実だ」と改革姿勢を主張する。酪農関係団体が抗議行動などすれば、それこそ改革への「抵抗勢力」として内外に印象付けることができる。そんな「深謀遠慮」を含む官邸の罠が二重にも三重にも潜んでいると見たほうがいい。
なぜ生乳自由化が浮上か
それにしても今なぜ、酪農の流通自由化問題がにわかに取り上げられているのか。ここをいぶかしく思う酪農家が多いだろう。それはアベノミクスに逆風が吹いていることと密接に絡む。当初、デフレからの脱却、円安株高、賃金もある程度押し上げるなど一定の成果が見えていたアベノミクスだが、それは日銀の極端な金融政策による黒田バズーカでマーケットが驚いたからにすぎなかったことが明らかになりつつある。多くの農業分野の犠牲を払っての環太平洋連携協定(TPP)大筋合意、関係十二か国の調印までこぎつけたのも三本の矢の成長戦略の目玉になったためだ。だが米国の議会批准が十一月にせまる大統領選のトランプ旋風で全くの視界不良に陥った。
さてどうする。安倍政権は脈絡もなく規制緩和と貿易自由化を「双発エンジン」に農業の成長戦略を強引に突き進む。「ピンチはチャンス」「自由化で輸出に活路を開く。国内対策は対応する」との大号令で。そこで次々と規制緩和が断行される。「減反廃止」と間違った喧伝がされるコメの生産調整抜本見直し、TPP国会決議堅持の旗振り役だった全中を農協法から外す改正農協法の施行、最後に残った「目玉」が酪農改革、指定団体の補給金問題だ。生乳を自由化すればいいという単純な論法がまたぞろ声高に叫ばれた。昨秋のバター不足が一般国民にも浸透したため、農協改革で効果を上げた農協=悪者論を使いながら、農協系統が生乳の流通を独占している。これを「廃止」すればバター不足が解消し、地域の酪農家も元気になるといった、まったく「逆立ち」した論理だ。指定団体の弱体化はかえってバター不足を招き、需給調整のグリップがきかず乳価が不安定になり酪農経営に試練を強いるのは間違いない。
熊本地震でも機能発揮
指定団体の最も重要な機能は、需給調整で生乳の一元集荷・多元販売を通じ国民生活に不可欠な牛乳・乳製品の安定供給を担保することにある。「三方よし」との言葉があるが、指定団体が需給調整機能を果たすことで、酪農家、乳業メーカー、さらには消費者にも恩恵が及ぶ仕組みだ。
指定団体は不測の事態にこそ発揮される公共的役割も持つ。熊本などで続く地震の影響で乳業工場の操業が停止した。周辺の酪農家の生乳の行き場がなくなる。そこで指定団体が広域的な需給調整を行い、他工場への振り分けを実施。場合によっては余乳処理施設で飲用向けから保存の効く加工向けにする。あるいは生乳の中継基地であるクーラーステーションに一時貯蔵する。流通を自由化し、酪農家個々の対応では不可能で、せっかく搾った生乳を廃棄処分せざるを得ない。指定団体が扱うことで結果的に酪農家のリスクヘッジ機能を果たしているのだ。
指定団体制度廃止を森山裕農相は改悪と表現したこともある。同感だ。いったい何のための、誰のための改革、いや改悪なのか。暴論以外の何物でもない。実態無視の酪農提言を即刻、出し直すべきだ。
酪肉近計画とも矛盾
バター不足問題も契機に浮上した今回の農業WG提言は、生乳需給混乱は経営離脱の瀬戸際に立つ酪農家の将来不安を募らせ生産基盤弱体化に拍車をかけかねない。昨春の基本計画見直しと同時進行した、食料・農業・農村振興審議会畜産部会の今後十年間を展望した酪肉近代化基本方針とも逆方向だ。これでは国が進める酪農行政との整合性を全く欠く。
バター不足も根本要因は酪農家の離農に伴う生乳生産不足に起因する。国産生乳は需要があっても供給が足りない。チャンス・ロスが流通現場で広がっている。生産基盤をどう維持、強化するのか。本来の農業WGの酪農提言はそこを具体的に示すべきだ。指定団体の価格交渉力を疑問視する指摘もあるが実態は違う。もう既に指定団体と乳業メーカーの単純な交渉構図ではない。大きく影響するのは大手スーパーなどのバイイング・パワーである。そうした内実を見るべきだ。乳業が国産生乳の安定確保のため酪農の窮状に理解を示しても、大手量販店の了承が得られなければ生産者乳価の値上げ分を納入価格に反映できない。日本乳業協会の川村和夫会長(明治社長)は「酪農・乳業一体論」を強調するのも、こうした状況を表している。
多面的機能との逆行
農業WGの酪農提言を詳細に見れば、冒頭部の酪農の果たす役割は正確な問題意識で書いてある。「農業の主要セクターの一つと同時に多面的機能により地域社会を支える礎である」と述べながら、なぜ「イコールフッティング」の名の下に「現行の指定団体制度の廃止」となるのか。論理に大きな飛躍がある。これでは最初から〝結論ありき〟と指摘されてもやむを得まい。酪農の多面的機能を担保する指定団体制度の機能を維持すべきだ。このまま提言通り強行されれば「角を矯(た)めて牛を殺す」ことになりかねない。
酪農関係者からは「まさに農協改革論議と手法が同じ。極端な規制撤廃とのボールを投げ、決着を強行しようという戦略だ」との警戒が広がっている。ただ四月施行の改正農協法が農水省自ら旗振り役だったのに対し、今回の酪農提言は自民党農林幹部、農水省との事前調整がないまま「制度廃止」が唐突に出され、これに河野太郎規制改革担当大臣が理解を示す構図だ。先週、自民党は農林合同会議で廃止提言を拙速であり「受け入れられない」と決議した。ただ「十分な調整を経て改革の方向性を示すよう」と、今後の指定団体制度の見直し論議に〝含み〟を持たせた。河野担当相は自民農林議員の申し入れに制度廃止は「北海道酪農のためになる」と応じたとも伝えられる。国政選挙後に再び廃止問題が再燃する火種も残るとの見方が強い。そこには規制改革会議の提言という「官邸主導」の政治構図が横たわる。
これらは酪農家個々の選択の自由とは別次元だ。
今秋に向け油断禁物
今回の提言は生乳集荷を担う生産者団体そのものを「廃止」するものではない。一元集荷化の「指定」をなくし流通ルートを多元化する。つまりは、指定団体外でもバターなど加工乳製品向けに補助金である補給金対象とする提案だ。国産生乳を大前提とした牛乳・乳製品は国民の健康維持には欠かせない必需品だ。このままでは酪農家はもちろん、乳業メーカーへの生乳安定供給に支障が出て、最終的には国民生活にも影響が及ぶ。このことを十分踏まえ、慎重で現実的な酪農改革論議をすべきではないか。今回の「答申」でとりあえず「廃止」の二文字は消えた。だが指定団体の抜本見直しの具体化はこれからが本番だ。参院選後に政府・与党がどんな手を使ってくるか油断はできない。
(次回「透視眼」は8月号)