四月に入り内外ともに大きく揺れ動く。米国大統領選の「トランプ旋風」はどこに行くのか。これと関連するのが国内酪農・乳業メーカーにも大きな影響を及ぼす環太平洋連携協定(TPP)の動きだ。共和党トランプはもちろん、民主党大本命・クリントンもTPP議会承認には懐疑的だ。日米に対抗する中国は新経済戦略「一帯一路」で欧州や中東を巻き込み仲間づくりを目指す。さてわが日本。国会内にTPP特別委員会を設置し、四月から集中審議が始まった。TPP合意内容を精査すればするほど疑問符が付く。急変する国際情勢と国政選挙が迫る日本を「透視眼」で覗けば、国民、農業者そっちのけの政治的か駆け引きばかりが目立つ。
TPP合意内容の虚実
まず、強調しなければならないのは、政府挙げて「TPPの農業被害はあまりない」と叫べば叫ぶほど生産現場、地方には不信感と不安が募っていることだろう。TPP影響額が最大二一〇〇億円とは桁違いではないか。農業者は誰も思っているだろう。農業分野にとってTPPの危険な側面は二つある。安い輸入農畜産物が大量に入ってくること。そして関税が大幅削減もしくはゼロとなることから来る国内対策に充てていた財源=関税収入がなくなることだ。金の切れ目は縁の切れ目。だからもっともTPP発効直後から影響が出る畜産は補填率を引き上げたマルキンで対応するとともに、財源を一般予算に求めた。赤ちゃんまで含め国民一人当たり一〇〇〇万円の借金を抱える日本国がいつまでそんな予算的負担が可能なのか。農水省幹部はこう言った。「予算対応が難しくなれば、その時は農業を守ることはアウトです」と。正直な腹の内だろう。
それにしてもTPPの行方が「二つの意味」で心配だ。まずは国政選挙が近くなり与野党の政治的な駆け引き材料に使われないかということ。このところ、政府、自民党が盛んに輸出一兆円前倒しを繰り返しているのは、市場全面開放に伴う農業分野の打撃の中で、一方で関税の垣根が大幅に低くなることは相手国への輸出もしやすくなるというレットリックに過ぎない。裏を返せば、輸出で活路を開く以外に国内農業の生き残りは難しいと言っているようなものだ。
政府は確かに米については相当慎重に対外交渉を行った。その結果「影響ゼロ」「主食米への影響遮断」とまで言い切った。だが国益中の国益、重要五品目の筆頭である米にしても、実際には輸入米の影響が外食あたりからじわり浸み出て来るのは間違いない。米価維持のために田んぼの四割もの作付制限=生産調整を行いながら将来的には八万トンもの米豪の輸入米を入れる。市場隔離するのは国産米である。なぜ品質の良い国産米を備蓄米で隔離し輸入米を限定的とはいえ市場流通させるのか。米国は自国の米を市場流通させることに徹底的にこだわった。食べてもらえれば良さがわかるはず。しかも価格も安い。「これは日本の消費者のため」との宣伝文句と共に。
影響は畜酪に集中か
畜酪はTPP合意で市場があけば今後大きな影響が出るだろう。特に牛肉、豚肉は大きい。確かに高級和牛は需要のすみ分けができている。問題は乳用種などだ。ただ安い輸入牛肉はこれまで以上に大量に出回れば牛肉相場全体が押し下がるだろう。和牛の相場ラインも下がりかねない。長期間肥育してサシを入れる今の和牛肥育の在り方も変革が求められる。何よりも音を崩れて瓦解しそうな和牛繁殖農家の生産基盤をどうするのか。子牛が手当てできなければ肥育は成り立たない。
酪農は単に牛乳・乳製品の供給ばかりでなく多面的な役割を担うことに注目すべきだ。乳牛の「借り腹」で先の和牛やF1子牛の供給源ともなる。むしろ酪農家がしっかり存在するから今の肉牛農家が立っていられる側面が強い。さらには純粋にTPP合意内容の乳製品分野への精査がさらに必要だ。問題は脱脂粉乳の代替性のあるホエーとチーズの扱い。乳製品は品目が多様で、含有率などで関税品目がさらに複雑になる。それだけに、相当な専門家でないと理解できないのが実態だ。
ただチーズは大きな政策変更を迫られるのは間違いない。国産の主力だったプロセス原料のチェダー、ゴーダは「五年程度で輸入一〇〇パーセントの方が有利になる」と乳業関係者は口をそろえる。つまり関税割当制度は効かなくなる。生クリーム、ヨーグルトなど液状乳製品を補給金対象に新たに組み込むことは北海道酪農にとって朗報に違いない。では飲用乳地帯の都府県酪農はどうなるのか。同じヨーグルト向けとなる「発酵乳」は牛乳等に入り補給金対象とは「線引き」されているのが実態だ。
大統領選の迷走と国会批准
TPPのもう一つの懸念は米大統領選の行方だ。共和党有力候補となっているトランプは大反対だ。民主党のクリントンはオバマ政権で国務長官だったこともあり理解を示すが雇用維持など承認に条件を付けている。
日本は国会でTPP特別委を設け、四月から本格審議に入って、安保法制でも見られるように通常、与野党対決法案の重要審議項目で特別委を設けた場合、議論が平行線となり一定の審議時間をみて打ち切り、賛成多数で可決、本会議に送付となる。つまりは特別委の設置自体、国会承認の露払い、セレモニーに過ぎないとも見て取れる。今は衆参とも「自民党一強」国会である。自民党内にはTPPに懐疑的な議員もいるが、党議拘束がかかり反対すれば安倍政権、内閣の方針に反対したと見られ除名もあり得る。無所属になれば、議員の影響力はほとんどなくなる。何のために国会議員に成ったのかと支持者から糾弾されるだろう。
ただいま一つ、TPP国会審議で不確定要素が出てきた。米国大統領選でこぞって候補者がTPP反対を訴えていることだ。特にトランプ旋風の行方だ。こうなるとTPPの米国議会承認は十一月の大統領選後となるのは間違いない。そこで安倍政権はどう出るか。七月十日には参院選がひかえると見られる。いや、衆参ダブル選挙もあり得る。どう見ても、TPP協定承認法案の「強行突破」は、ただでさえ農業者に評判が悪い安倍政権の信用をさらに落としかねない。一方で米国大統領選の先行きは不透明だ。TPP国会承認を秋の臨時国会にずらし、拡充した国内対策も併せて再提案する。そんなシナリオも「永田町」からは聞こえてくる。
日米TPPに対抗する習近平中国
世界二大経済国・米中を大局的に見てみよう。米国は経済成長が著しいアジア太平洋に照準を定めたTPPを推進中だ。一方で中国は「一帯一路」戦略を進めるために具体的な道具を備えた。アジアインフラ投資銀行(AIIB)である。ここには英独仏など欧州の主要国も参加した。TPPとAIIBは米中経済覇権争いの「象徴」と見た方がいい。
TPPで日米は「門戸は開いている」と中国の参加を拒んでいないが、原則関税ゼロや国有企業の抜本改革まで求めるTPPの自由化ルールに中国はとても応じられる状況にない。TPPは中国包囲網を絡めた経済軍事同盟づくりの一環の位置付けだろう。中国はAIIBで米国主導の国際金融秩序への抵抗を試みている。同時に鉄鋼など過剰設備による国内の構造改革を進める構えだ。先に習主席は自らイランなど中東を訪問し安値が続く原油の大量買い付けの約束をした。一方で高速鉄道や発電所などインフラ整備や鉄鋼輸出も決めた。しかもこれまでのドル立て決済からAIIBを通じた人民元決済を説いた。こうした動きから「一帯一路」を踏まえた中国の対米戦略の深謀遠慮が透けて見える。
中国は農業政策でも大きな転換期を迎えた。「格差」は依然大きいものの国民の所得向上に伴い国内需要に生産が追い付かない。そこで一九九六年の世界食料サミットで宣言した「中国は九五パーセント自給率を維持する」方針を転換した。安定的な穀物輸入などを進めていく。「爆食」と言われる食肉、乳製品需要など中国の食需要の高度化は、かつて乳製品の国際相場の高騰を招き日本の輸入にも大きな支障が出るなど世界の食料需給の波乱要因にもつながってきた。今は経済減速が響き食料輸入が鈍化しているが、巨大な胃袋を満たす大量輸入の基本構図は不変だ。このことは、カロリーベースの食料自給率三九%と先進国最低の異常国家・日本にとって早急な自給率向上の重要さを問い掛けている。
(次回「透視眼」は6月号)