平成から令和へ。改元から5月1日で1年を迎えた。時代は大転換期にある。日本の酪農・乳業界も例外ではない。新型コロナウイルスの猛威は経済効率一辺倒の現代社会への警告だ。持続可能で共に支え合う「共創」社会実現へ生産者と消費者、メーカーが連携し試練に立ち向かう事こそが問われる。新たな酪農肉用牛近代化基本方針(酪肉近)も計画具体化へ動き出した。今後は論議の舞台は地方、生産現場に移る。地域酪農再生へ地方版酪肉近を作り上げたい。
業務需要激減で生乳需給は重大局面
コロナ禍は農業、食品業界にも打撃を与えている。緊急事態宣言の長期化は国内の消費構造を大きく変えた。家庭内消費の「巣籠り需要」は拡大する一方、牛乳・乳製品の半分近くを占める業務用需要が大きく落ち込んだ。需給調整弁のバター、脱脂粉乳の乳業工場の処理能力が限界に達する一方で、全国の6割近くの生乳生産を持つ北海道の生乳生産は6月上旬に向けピークに達する。こうした需給ギャップで生じた処理不可能乳の発生を業界挙げて回避する必要がある。政府は、酪農家、乳業両者へコロナ減収分の補てんを早急に行うことも必要だ。
「Rの時代」回復のレジリエンス
「令和」の出典は当地、福岡の太宰府に由来する。万葉集にある大伴家持の父・大伴旅人による「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」から。当時、旅人は役人として太宰府に赴任し、観梅の宴の中で詠む。令月は美しく素晴らしい月。穏かに和み素晴らしい月日を過ごす。新元号に込めた期待は現実社会の前に大きな試練に立つ。先の「平成」が「平らかに成る」との思いからつけたが、現実は真逆の動乱の時期と重なった。阪神・淡路大震災、東日本大震災、さらには4年前の熊本地震など相次ぎ「大災害の時代」となったように。令和は頭文字から「Rの時代」ともされるが、難局に打ち勝つ回復力を意味する「レジリエンス」こそが欠かせない。
2019年5月の改元からの1年を振り返れば激動の時代を予見させる。国際的には米中貿易紛争激化、国内では昨秋から記録的な自然災害が相次ぐ。一方で地球的な喫緊課題の温暖化対応は、各国の利害対立から具体化の動きは止まったまま。
そして今は新型コロナの猛威との闘いだ。その経済的打撃は、12年前のリーマンショックによる金融危機を超え、1929年の大恐慌以来ともされ見る。今年は、先の大戦終結から75周年、東西ドイツ統一から30年の区切り。だが、経済発展による平和の配当を世界が享受する事は幻想となった。逆に「コロナ戦争」との言葉さえ繰り返される。
国連世界保健機関(WHO)からパンデミック(世界的大流行)宣言が出た3月11日を注視したい。ちょうど9年前、東日本大震災による巨大地震、津波、原発事故の世界初の複合災害が起きた日と重なる。自然災害と感染症との闘いは、今後の人類の共通の課題でもあろう。
こんな中で想起するのは、20世紀の経済思想家、P・F・ドラッカーの至言である「既に起きた未来」ではないか。世界が一つにつながるグローバル化と加速する情報通信(IT)社会の進展という、これまでにない状況の中で起きた。
今回の危機の特徴は、感染症の脅威が、世界を巻き込むグローバル化で増幅され、かつてない広がりを見せている点にある。感染の始まりが、経済戦略「一帯一路」で影響力拡大を進める中国だったことも注意しすべきだ。世界経済は、これまでのあまりの中国依存から多極化へ向かう方向だ。IT社会の進化は、ネットでデマも含め大量の情報が氾濫し社会を混乱させる。「既に起きた未来」を踏まえ、行き過ぎたグローバル化是正と正確な情報選択が問われなければならない。
コロナ禍は「社会生活に必要なものは、ある程度自国で賄うことが大事ということを白日の下にさらした」と谷口信和東京大学名誉教授は見る。国産農畜産物を大前提にした食料安全保障構築とも重なる視点だ。
別の見識もある。岩波書店の雑誌「世界」5月号は特集「コロナショック・ドクトリン」を掲載した。惨事に便乗した急激な「改革」の警告を発する。
酪肉近の主舞台は現場に
今後10年間を見据えた国の新酪肉近が具体化へ動き出した。焦点だった生乳や和牛の増産を明記した。喫緊の課題は生産基盤拡充である。増産が飼料自給率向上と並進する地域循環型の畜酪構築を進めるべきだ。
現場生産者へのメッセージは「新たな時代に挑み、新たな時代につなぐ、持続可能な酪農・肉用牛生産の創造に向けて」とした。キーワードに「持続可能な創造」を掲げ、新時代を切り開く畜酪の役割に期待を込めた。飼養戸数激減の実態も踏まえ、「つなぐ」との表現で経営継承問題を前面に出したのも時宜にかなう。5年前は「人・牛・飼料の視点で基盤強化」をスローガンで、地域挙げた生産振興を後押しする畜産クラスター事業で下支えした。
特色は大規模化ばかりでなく、中小規模の家族経営を含め総力戦で需要拡大に対応するための生産基盤強化を明記した点だ。畜酪には、中山間地の活性化という大きい。経営指標でも家族経営や地域連携型などを盛り込んだ点は評価していい。ただ、「近代化」という言葉は、約60年前の農業基本法に沿ったもので時代錯誤だ。法改正を早急にすべきだ。
焦点だった10年後の生産目標は、生乳が780万トンと約50万トン増、肉用牛飼養頭数は303万頭と約50万頭増やす。牛肉生産量は40万トン(部分肉換算)で、うち和牛は輸出拡大を見込み30万トンと倍増する計画だ。果たして現実的なのかという課題は残る。
酪農、肉用牛とも意欲的な増産目標を掲げたが、背景は大きく異なる。生乳増産は国産原料確保の観点から乳業メーカーが強く求め、生産者も含めた関係団体で構成するJミルクも酪農乳業戦略ビジョンで10年後の生乳生産を775万トンから800万トンと掲げた。今回の酪肉近780万トン目標はそれに沿ったものだ。つまり、実需側の裏付けがある。主産地の北海道は初の400万トン時代に入った。課題の都府県酪農の底上げが実現すれば増産は現実化できる。一方で、肉用牛は事情が大きく異なる。繁殖農家の減少が子牛高となり、肥育牛農家の経営を圧迫する。繁殖、肥育とも経営下支えの政策を拡充するが、主産地の九州をはじめ生産基盤の維持・強化が継続できるかが鍵を握る。
今回の新酪肉近論議は異例づくめだった。酪農制度の根幹である加工原料乳補給金制度の抜本改正を経て、改正畜産経営安定法の下での政策検証を求める声が相次いだ。5年前の前回論議では想定していなかった内容である
制度改正は、酪農家の所得向上の大義名分のもとで、指定生乳生産者団体の生乳一元集荷撤廃に踏み切った。流通自由化を促すものだが、これで用途別の生乳需給が担保できるのか。当初からの疑問は、新制度発足から2年という節目で、多くの問題点が相次ぎ現実化している。こうした中で、酪肉近では生産現場の意見を踏まえ、制度の検証、適切かつ安定的な運用が明記された。
後述するが、特に生乳卸のMMJによる生乳集荷の一部停止は大きな問題だ。食料・農業・農村政策審議会畜産部会でも、何度か委員から制度改正と絡め懸念する指摘が出ている。改正畜安法に基づく第1号事業者の認定見直しも含め、農水省は重く受け止めるべきだ。
新たな自給率設定でも畜酪が焦点となった。畜酪増産の中身も問われなければならない。自給率が従来のカロリー、生産額ベースに加え、飼料自給率を加えない食料自給率も明記した。生産者努力を反映できる半面、飼料の輸入依存に拍車がかからないか。畜産部会でも飼料自給率目標を、前回の40パーセントから34パーセントへ6ポイント下げた事への疑念も出た。飼料用米の目標値引き下げ、和牛増産、エコフィード推進の半面で食品ロス削減の広がりなどが背景にある。酪肉近では水田活用、放牧、国産濃厚飼料としての子実用トウモロコシ振興などを挙げた。
足腰の強い持続可能な畜酪実現には、畜酪増産と国産飼料増強が並進することが欠かせない。
MMJの受乳拒否と指定団体の役割
北海道で生乳卸・販売業者による一部酪農家の生乳廃棄は、酪農制度の根幹に関わる問題だ。改正畜産経営安定法の課題が浮き彫りになったと言えよう。元凶は、行き過ぎた規制緩和による制度改正がある。農水省は、当事者間の迅速な紛争処理とともに、制度の問題点を見直し適切な対応を急ぐべきだ。
指定生乳生産者団体の一元集荷を撤廃し、生乳流通自由化を促す改正畜安法施行から2年となる。当初から「大多数の酪農家の負担の上に、一部酪農家の所得増となりかねない」「飲用シフトになり用途別生乳需給に混乱が生じる」など懸念する声が相次いでいた。そうした中での今回の数千の生乳大量廃棄の事態だ。関係者からは「最初から懸念されていたことが起きた」との受け止めが強い。
問題となっている生乳卸のMMJは、品質問題などを理由に契約している北海道東部の酪農家の一部の集乳を停止し、結果的に大量の廃棄が続いている。国会や自民党部会、食料・農業・農村政策審議会畜産部会でも取り上げられ、同省に実態把握と制度の再検証、見直しなどの指摘が出た。全国連、指定団体などで構成する中央酪農会議は総会後の会見で改めて現行制度の点検を求めた。
酪農制度は、数時間で品質変化する生乳の特殊性を踏まえ、指定団体の一元集荷、多元販売という仕組みで、酪農家の所得を補償してきた。生乳販売自由化は需給不均衡による生乳廃棄のリスクと背中合わせだ。何度か指摘されている「いいとこ取り」は長続きせず、結局は持続可能ら酪農の根幹を揺るがす。
問題は、かつてアウトサイダーと位置付けられたMMJが改正畜安法で国の補給金対象の受け皿団体である第1号対象事業者となっている点だ。指定団体と同様に同法冒頭に掲げる「需給安定を通じた畜産経営の安定」に責任を負う立場だ。
同省はMMJが法の趣旨に適合するか厳格に精査し、そぐわなければ資格取り消しなどの対処も下すべきだ。今回の生乳廃棄問題は昨年から取りざたされてきた。同省はいつ事態を把握していたのか。この間、なぜ放置しその後どう対応してきたのか。情報の透明化が欠かせない。その意味では国の責任も重い。
(次回「透視眼」は8月号)