2012年12月の第2次安倍政権発足から5年を過ぎた。「三本の矢」を掲げたアベノミクスの展開とも重なる。経済は回復基調を示す一方で、地方は低迷したままだ。農業分野では、酪農制度改革や農協改革に典型的なような協同組合軽視の対応が繰り広げられた。生産現場は、官邸主導の農政に政治不信を募らせている。第1次政権と併せると、安倍晋三首相の在職日数は2230日を超え、戦後3番目の長さだ。このまま長期政権が続けば、国内農業は一段と縮小を迫られかねない。
「TPPプラス」の恐れ
1月22日の通常国会冒頭での首相施政方針演説は、貿易自由化の一層の加速化を明言した。背景には、TPP11(イレブン)を早急に締結し、米国との2国間協議に備える必要がある。だが、トランプ政権はWTOやTPPといった多国間協議に懐疑的な姿勢を貫き、年内の早い段階で自由貿易協定である日米FTAを正式に持ち出す可能性が高い。
そうなれば、膨張主義を続ける中国との対抗上、核の傘の下にいる日本の立場は圧倒的に弱い。米国は政治・経済面で足元が揺らいでいるとはいえ、軍事面ではいまだに「超大国」の存在だ。日米安保を絡められれば、日本の通商協議の防衛ラインは大幅な後退を余儀なくされかねない。
一つの基準はTPP合意内容。例えばバター、脱脂粉乳など基幹乳製品のTPP輸入枠は生乳換算で7万トン。国内の数県分の年間乳量に匹敵するが、TPP11なら酪農大国・ニュージーランド一カ国で埋まってしまう。米国にとっては何にも関係ない。新たな輸入枠を要求してくるだろう。つまり米国は、東京大学農学部の鈴木宣弘教授が指摘する「TPPプラス」の要求を仕掛けてくる見込みが強い。米国はチーズ大国。副産物のホエー(乳清)が関心品目となる。ホエーはタンパク質含量によっては、脱粉の代替品目に変身する。強まる乳製品の輸入圧力は、日本国内の生乳需給に大きな影響を及ぼしかねない。
一年間の所信表明を想起
想起すべきは一年前、昨年の1月20日の同じ安倍首相による所信表明だ。「農政新時代」の項目の中で農政改革推進の決意を述べ声を張り上げた。いわく今国会に農政改革関連8法案を提出し「改革を一気に加速する」と。そして全農改革と酪農改革に触れた。民間組織に過ぎない全農を名指しで取り上げるのは極めて異例である。酪農改革では「事実上、農協経由に限定している現行の補給金制度を抜本的に見直す」と明言。「生産者の自由な経営を可能とする」と続けた。
そして、その通りになる。全農と酪農が規制改革の標的になる。この中で、酪農制度はアベノミクスの真の狙いが、競争原理を全面的に導入し独禁法除外となっている農協共販制度の破壊に向いているのは明らかだ。共販を支援し生乳流通制度の安定を目指す世界的な潮流とは真逆の動きである。
国民の必需品である牛乳・乳製品価格の乱高下は酪農家と消費者双方に有害なことから、安定化こそ求められている。最終的には今春施行の改正畜産経営安定法の第一条に「需給安定」が明記されたが、具体的な運用でどうなるのか注視が必要だ。飲用シフトが強まり、かえってバター不足を招き生乳需給の安定につながらない不安もある。
2230日の長期政権の驕り
まず指摘したいのは、モリカケ問題に端的な長期政権の驕り、たるみ、歪みである。歴史の格言「権力は腐敗する」の言葉通り、この政権は延命こそが最大目的になってしまった。今の最大の関心事は今年9月の自民党総裁選での三選と、歴史に名を残す首相となるように誰も成し遂げられなかった「憲法改正」への道である。
予断を持たず言えば、安倍首相はあと1年半後、2019年8月で戦後最長の首相在職日数を記録する。第1次政権と合計すると正月三が日の1月2日に2200日に達し、2月に入り2230日を超した。戦後の歴代内閣を見ると、首相在籍の1位は7年以上の長期政権を率いた佐藤栄作の2798日、2位は終戦直後に日本でGHQのマッカーサー元帥と対峙しながら何度も解散を仕掛け「軽武装、経済重視」の路線を構築した吉田茂の2616日。北朝鮮のミサイル攻撃ではないが、安倍首相は完全にこの二人を射程距離の範囲内においた。
力の源泉は国政選挙5連勝
この5年間は「安倍1強」の4字に象徴される。国政選挙で連勝を重ね、安倍晋三首相の権力基盤を強固にした。
「選挙に強い」は、確かに安定した与党議席の維持を可能にした。一方で、安全保障問題をはじめ国会対応でも度々、2分する世論とは別方向に進んだ。首相が繰り返す「この道しかない」は、権力のおごりを招き「言論の府」であるべき国会の役割を軽くしなかったか。そしていよいよ9条改正を含む新憲法への動きが具体化している。
だが、民意は一様に安倍政治を信任したわけではないことは明らかだ。特にアベノミクスの恩恵が一向に実感できない地方ではそうだ。株価が21年ぶりの水準に達した。政権はアベノミクスの効果を誇るが、日本銀行などによる「官製相場」との見方も強い。むしろ株高、大企業の好業績が労働者の賃金に十分に反映されていないことが問題だ。これでは個人消費は増えない。
特色は「公約なき改革」
農業日刊紙が農政モニターを対象にした昨年10月の衆院選の投票行動調査(出口調査)は、比例区で自民党が34%とトップだが、立憲民主党24%、希望の党14%となった。野党2党で38%に達し自民を4ポイントも上回る。野党統一で自民党と対決すれば選挙結果が様変わりした可能性が強い。安倍農政への不満の裏返しでもあろう。自公政権は、こうした実態を肝に銘じ今後の農政展開を図るべきだ。
自民党圧勝となった先の衆院選での当選議員の任期は2021年10月まで。19年5月に「農協改革集中推進期間」の期限を迎える。今後の国会論戦では、生産現場での安倍農政への厳しい評価を踏まえ、地域農業振興に果たす農協の役割を直視すべきだ。
安倍農政の最大の特徴は「公約なき改革」と言っていい。米の生産調整をはじめ農政課題がめじろ押しだ。安倍政権は国政選挙の終了後に、規制改革推進会議などの動きに合わせ農業改革を加速するパターンを繰り返してきた。これでは、政治不信を増すばかりである。生産現場の信頼と納得を土台にしなければ、農政改革は実効を挙げられないことは明らかだ。
これまでも規制改革の名の下に、全農改革や酪農改革で典型的なように実態無視の急進的な改革を迫る動きが突然、表面化するケースが度重なった。
安倍政権は13年6月に1・10年間で全農地の8割を担い手に集積2・20年に農林水産物・食品の輸出額1兆円に拡大3・10年間で農業・農村全体の所得倍増の3つを目標とする農業成長戦略を閣議決定。これが安倍農政の基礎となった。だが、目立つのは輸出増加への言及だ。一方で、肝心の食料自給率は38%と、米大凶作の異常年だった1993年度に継ぐ史上2番目の低さ。自民党農政の目玉でもあった「所得倍増」はほとんど聞かれなくなった。
順番が逆ではないか。自給率38%は国内生産基盤衰退の裏返しでもあろう。世界人口は増え続けている。輸出よりも、まずは生産基盤を維持し国産農畜産物を安定的に国民に供給することが先決だ。
首相は「この道」しかないとする。だが、「攻めの農政」一辺倒は多様な生産現場との大きなずれを招く。地方創生と一体となった持続可能な農業こそ問われている。「別の道」を探る時期だ。
安倍政治理解「必読の書」
最後に、アベノミクス理解に欠かせない必読書を紹介したい。弁護士の明石順平氏が著した「アベノミクスによろしく」(集英社インターナショナル新書)。既に各新聞の書評などでも広く取り上げられた。タイトルは人気漫画「ブラックジャックによろしく」に重ねた。項目ごとに漫画イラストは入り分かりやすい。
あくまで、政府公表など客観的なデータに基づいたアベノミクス5年間の評価である。確かに株価は上がり輸出企業を中心に大企業の業績は好調だ。だが、景気について一般国民の肌感は真冬の寒風が痛い。首相が国会答弁で経済回復の具体的数字をまくしたてるが、果たして本当なのか。事実が安倍政権の欺瞞とごまかしを暴く。勤労者の実質賃金が上がらず肝心の個人消費が伸びていない。第1章「アベノミクスとは何か」の冒頭、ブラックジャックのイラストで「名前はみんな知っている。中身はみんなわかっていない」「それがアベノミクス」。この台詞が「アベノミスクの正体」を端的に示す。
(次回「透視眼」は4月号)