2030年度までを展望した新たな酪農肉用牛近代化基本方針(酪肉近)は、厳しい生乳需給実態を反映したものとなった。焦点の5年後の生乳生産数量目標は、732万トンと現行水準に据え置いた。だが、現行酪肉近2030年度目標780万トンに比べ50万トン近い減少となる。需給緩和を踏まえた一方で、北海道は増産とした。都府県は300万トン割れの衝撃的な数字だ。新酪肉近の内実と決定の背景を読み解く。
写真=3月19日のJミルク幹部記者会見
最重点に「需要に応じた生産」
目指す方向は4つ。特に畜酪経営の安定、持続可能な生産のために、需要拡大の重要性を説いた。
◇目指す方向
・需要に応じた生産
・従来生産手法の見直しを含むコスト低減、生産性向上
・国産飼料拡大を通じた輸入飼料依存度の低減
・環境負荷軽減の推進
目指す方向のうち、最も強調しているのが「需要に応じた生産」。生産者団体、関係業界、行政が一体でいかに生乳、牛肉の需要を拡大し、需給不均衡の現状を乗り切っていくのかが最重要課題としている。
2030年度目標の次期酪肉近は、今後の生産拡大を射程に据えた「足踏み期」とも言える。生産基盤と飼養戸数を出来るだけ維持しながら、この変革期をどう乗り切るか、という問題意識だ。
酪農団体「厳しいが前向きに頑張る」
3月19日、生処販で構成するJミルクは2025年度事業計画、収支予算を決めた臨時総会後の会見で、新酪肉近に関連し見解を示した。
大貫陽一会長(森永乳業社長)は「今後の大きな課題は需要の拡大だ。酪農・乳業の持続可能は発展のために欠かせない。業界挙げて栄養面、健康面の牛乳・乳製品の価値をアピールして実需に結び付くよう取り組む。既に日本乳業協会は脱脂粉乳の過剰是正へヨーグルト需要拡大に取り組んでいる。Jミルクは牛乳中心になるが、消費の底上げを図る対応を強めていく。国産牛乳・乳製品需要拡大へは一層のインバウンド取り込みも重要だ」と強調した。
一方、酪農団体代表の隈部洋副会長(全酪連会長)は「5年後の生乳目標生産量が734万トンと現状水準に据え置かれた。増産目標を要望していただけに、生産現場のモチベーション、やる気が下がらないか正直言って残念な気持ちがある。一方で、毎年度検証し需要が増えればそれだけ搾乳できる余地もある。飲用乳価引き上げで、今後への一筋の光も見えてきた。ここは前を向いて頑張る」と応じた。
副題「変革の時代」掲げた真意
2030年度までの次期酪肉近の副題は「変革の時代を切り拓く新ビジョン」。
今後5年間を射程に、「変革の時代」をどう乗り切るのかという「前向きのビジョン」を盛り込んだと、農水省では強調している。果たしてどうだろうか。
繰り返すのが「需要に応じた生産」だ。それだけ、生乳と牛肉は需給緩和が、今後の経営展望を見晴らす際に「難所」となっている表れでもある。副題で「変革の時代を切り拓く」とした「変革」とは、これまでの対応では課題を解決できず、新たな手法がかなり難題との意味合いが強い。
今後の酪農経営安定に「生乳1キロ当たりの収支を最大化すべき」と明記した。乳価を基本に「総合的な経営力」を促す。
具体的には、生産性向上や経営高度化を図りつつ、国産飼料など経営資源に見合った安定的な経営体の実現が、持続可能な経営につながると指摘。①経営資源に見合った生産規模②酪農家自らの経営分析・改善の推進③多様な経営体の増加――などを政策的に推し進める。
持続的な畜酪には「総合的な経営力」を備え、規模に偏らない収益性で堅実な経営を目指す。つまりは「自助努力」と「自己研鑽」が最重要とした。一方で、食料安保強化のためには、国産農畜産物の安定供給が欠かせない。個別農家の収益性向上とともに、地域全体としての生産者の維持・生産量の確保も重要で、そこに政策的支援の必要性がある。「自助努力」が前面に出ているが、政策面での「国の責務」とのバランスが問われる。加工原料乳ナラシ対策拡充にも触れたが、経営支援への効果は不透明だ。
北海道と都府県の「分割統治」
酪肉近で生乳生産は、現行780万トンの「堅持」を畜産部会で全中も北海道中央会も再三にわたって求めてきた。だが、本文案では732万トンと現在の生産水準に据え置いた。780万トンと比べれば50万トン近い大幅な減産目標となる。
これを生産現場はどう受け止めればいいのか。ここで農水省は用意周到の仕掛けをしている。畜産部会で同時に出した「生乳生産予測」である。北海道の増産基調と都府県の急激が減産のデータがはっきりわかる。そこで、農水省はある「連立方程式」を想定した。全体は現状の水準にとどめるものの、北海道は増産とすることで北海道酪農家に最大限の配慮を示した。また、参考値としながら概ね10年程度(2035年度)の「長期的な姿」として現行酪肉近目標と同様の780万トンを明記したのだ。
それにしても、30年度に732万トン、35年度に780万トンと5年間で48万トンを増やすのは事実上難しいのは明らかだ。農水省は関係者挙げて飲用牛乳、過剰が深刻な脱脂粉乳の「需要」を底上げしていけば、将来的に780万トンの姿が近づいてくると説明した。逆に言えば、需要拡大が難しければ、縮小生産もあり得るということだ。
離農加速の都府県、九州は57万トンに
「生乳予測」でショッキングなのは、北海道は増産傾向が続くとしたものの、都府県の減産には歯止めがかからず、むしろ減産が加速することだ。
5年後には296万トンと300万トン割れの衝撃的な数字が濃厚となっている。この場合、現在、北海道と都府県の生乳シェアはほぼ6対4だが、5年後は北海道が全体の約7割を占める。
5年後、2030年度の都府県をブロック別に見ると、関東は110万トン(114万~107万)、九州は57万トン(58万~55万)と60万トンを割り込む見通しを示した。
北海道に生乳生産が偏在化することは、リスク分散からも、酪農の果たす社会的役割からいっても決して好ましいことではない。今後とも、北海道と都府県酪農の均衡発展が問われる。農水省の酪農政策も北海道と本州のバランスある酪農振興が重要となる。
畜安法是正は「一歩前進」
新酪肉近で、関係者から何度も指摘されてきたのが、日本農業最大のアキレス腱とされる輸入飼料依存の加工型畜産の転換と、流通自由化で生乳需給調整機能が弱体化した改正畜安法の是正、抜本的な見直しだ。
本文案では、国産飼料の生産・利用拡大を全面に出した。だが、青刈りトウモロコシを中心とした粗飼料生産拡大に記述が集中し、子実用トウモロコシなど輸入依存が著しいトウモロコシ代替への政策的決意が見当たらない。
改正畜安法の是正は「一歩前進」と評価していい。主要補助事業とセットで全酪農家への生乳需給参加を促す仕組みを提示した。ただ、指定団体経由の生乳が先細り、非系統の流通が拡大する傾向は変わらず、引き続き「需給調整」を担保とした改正畜安法の見直しが求まられる。
牛乳vs牛肉、北海道vs九州
新酪肉近論議を政権内の政治的力関係で俯瞰したい。生乳、牛肉とも政策価格決定は政治色が強い。食管廃止で米価から政治色が消えたのと引き換えに、畜酪は政治的な配慮が随所に見え隠れする。農政は純粋経済理論で決まらず、政治経済学に左右される。短銃な経済理論で決まれば、そもそも政治家はいらない。何のために地域を代表して選出されてきたのかということになる。2015年前後のかつての第2次安倍政権時の「官邸農政」のような「靴に足を合わせる」官製農政ではなく、現場実態の沿った実際の足のサイズに合った靴を用意するのでなければ、実際の農政はうまく稼働しない。
酪農問題はかつて、剛腕政治家が目白押しだった北海道主導で決まっていった。だが現在、幾多の政治的変遷を経て北海道には大物の農林議員が大幅に減った。一方で九州、特に南九州には強力な自民農林議員がそろう。こうした政治構図が農政決定にも影響を与える。
限られた予算の中で全体の構図を見ると、酪農と肉牛の政治的配慮に微妙な差があるとも指摘できる。言い換えれば、酪農主産地・北海道と肉牛主産地・南九州との政治力の差が反映されている、との指摘もある。今回の新酪肉近決定でもそうだ。
30年度の生乳生産数量目標は、現行計画の780万トンを求める意見が自民党、農業団体、乳業メーカーでも強かった。結果は現状の生産ベースの732万トンに落ち着いた。酪農家の1万戸割れ、特に都府県の地盤沈下を踏まえた。
一方で牛肉は生産量36万トン(部分肉換算)と現行の35万トンよりわずかだが増産とした。酪農は現行780万トンからの大幅な「減産」、肉牛は「微増」。この差は、需給状況と言えばそうだが、政治情勢も見る必要がある。
自民党畜酪委員会でも鈴木貴子氏など北海道選出国会議員の意見は出たが、以前のような大物農林議員はあまり見当たらない。半面、南九州は農林幹部の「ツートップ」森山裕自民党幹事長、江藤拓農相が党、農林水産行政の最重要ポストに就くなど、北海道と九州の政治力の差が歴然としているのは事実だ。農水省がこうした実情を考量したこともあるかもしれない。酪肉近を政治的文脈であらためて深読みすることも欠かせない。
国産飼料転換は「絵に描いた餅」に
新酪肉近は、国産飼料重視を打ち出したものの、内実は腰が引けていると言っていい。これでは畜酪生産コストの5割前後を占める飼料代引き下げの実現が危ぶまれる。
飼料は2030年度目標で飼料自給率28%、飼料作物の作付面積101万ヘクタールとした。現状の飼料自給率から見れば1ポイントの上げとなる。だが、現行の酪肉近目標34%と比べれば、6ポイントもの引き下げだ。飼料作物を損産するまとまった農地があるのか、作り手はいるのかなど現実問題として、国産飼料増産には難題がつきまとう。農水省はKPI検証もあり実現可能な数字として飼料自給率28%を明記したとした。やはり主力は青刈りトウモロコシを柱とした粗飼料自給の引き上げだろう。
畜産部会では、以前から飼料問題に絡め「飼料問題は食料安保の非常に大きな問題だ。飼料用米振興などのはしごを外すような書きぶりにならないようにしてもらいたい」など、疑問が投げかけられた。農水省の記述が、粗飼料自給率の向上、特に青刈りトウモロコシ振興のみ明記していることへの指摘だ。
確かに、青刈りトウモロコシは、面積当たりの生産性が高く、まとまった作付け、生産すればコスト低下につながり、飼料自給率アップには適している。だが、生産者委員からは「青刈りトウモロコシの一本足にはリスクがある」とも指摘も強かった。本文案では青刈りトウモロコシに加え、濃厚飼料代替の役割も果たす飼料用稲、子実用トウモロコシの振興も明記された。ただその具体策も今後の検討にとどまっている。
課題は、リスク分散をはかるためにも多様な自給飼料の生産と、粗飼料ばかりでなく輸入依存が著しい配合飼料代替の自給濃厚飼料割合をどう高めるかだ。
(次回「透視眼」は6月号、テーマは「分析・25年度農業白書」を予定)