2026年は「昭和百年」に当たることから、2025年度農業白書でも1世紀の食料・農業・農村の変遷を振り返った。食料自給率の低下、農業・農村衰退の歴史と軌を一にすることが分かる。そして敗戦後、米国による軍事と食の“傘“に覆われ、いまだに米国による“日本人胃袋占領“政策が貫かれている現実を見る。
写真=「昭和百年」と農政・酪農を考える4冊、「緑の旗の下に」(山口巖)、「日本酪農産業史」(前田浩史)、「激変!農政のゆくえ」(伊本克宜)、「健土健民の百年」(雪印メグミルク編)。
白書「100年を振り返って」と「未来としての過去」
あらためて昭和元年(1926年)から昭和100年(2025年・令和7)の推移をみると、それは日本経済のグローバル化に伴う食の洋風化、輸入自由化の拡大、農業・農村の衰退と表裏一体をなす。
白書はトッピクスで「昭和100年を振り返って」を特集し、年代ごとに特色、主な出来事を記述した。推移を分かるにしても内容が“平板”で、起伏がよく分からない。農政は三本柱から成り立つ。コメ・水田農業、担い手・経営者問題、そして農地問題だ。どれは一つとっても、うまくいかず、今日の農政課題として大きな問題となっている。
難事の打開は反省の上に立ち、うまくいかない原因と別の視点からやり方を試みることで新たな進路と突破口が開かれるのが常だ。白書を読み解く中で、この平板的な「振り返り」は、〈昭和百年農政〉を巡り農水官僚が自覚と反省の上に立っていないことを改めて示している。
ここで、「未来としての過去」という視座から「農政百年」、特に「戦後農政」を振り返りたい。過去の歴史的出来事からヒントを得て未来の展望を開くことができないか。ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスが提唱した「未来としての過去」の視点が有効となる。
「昭和百年」と「平成三十年農政史」
「昭和百年」の1世紀の中で、平成の30年(1989~2018)は、今に続く農政上の重大事項、そして政策決定が成された。つまり「昭和百年」の入れ子細工、ロシアの民芸人形マトリョーシカのように「平成三十年農政史」を振り返り精査することは、農政の課題と打開策を探ることとも重なる。
それは、2度の非自民政権もはさみながらも農業を巡る自由化、大規模化、規制緩和の政策遂行の過程でもある。「平成三十年農政史」の農政・農協への試練は、最後に後述する「2015年体制」とも称される安倍一強政権下での「官邸農政」で展開された。
農業人口・農家・農地三大不変数の「崩壊」
日本農業は明治以降、昭和の高度成長期前までほぼ百年間、変わらない数字、いわゆる「3大不変数」があった。①農業就業人口1300万人②農家数550万~600万③農地600万余町歩。これが「昭和百年」で見ると、激変し日本農業の衰退と結びついていることが分かる。
輸入依存「前提」だった1961年基本法
戦後日本は、敗戦に伴う米軍占領を経て独立、経済大国の道を突き進む。半面、農業分野を凝視すれば、1961年(昭和36)の農業基本法制定で戦後農政の指針は整ったものの、重大な問題点を内包したままの政策展開となった。
後述する戦後日本農政を大きく左右する米国の3人の仕掛人、電撃的な米中国交回復をはじめ水面下の忍者外交として名をはせたキッシンジャー米国務長官になぞらえれば、3人の「農業キッシンジャー」がいた。それぞれ「小麦」「大豆」「食肉・飼料用トウモロコシ」を売り込み、今に至る米国農業による日本人の“胃袋占領政策“の礎を構築した。
「農政の憲法」1961年農業基本法はこうした中で制定された。農政の柱に農工間所得均衡、自立経営農家、選択的拡大、構造政策などを位置付けた。だがそれは、安価な米国の農畜産物の輸入を「大前提」にしていた。特に、飼料用トウモロコシの大量輸入は、日本の畜酪の対米依存を決定的なものにした。国内畜酪が発展すればするほど輸入飼料を増え、逆に自給率が下がる矛盾した構図だ。
3つの数字「50―50」「3兆円」「13%」
「昭和百年」を踏まえ農政・酪農問題を考えると、過去・現在・未来を包含する課題とも重なる、3つの象徴的な数字を考えたい。「3兆円」「13%」「50―50」だ。
「50―50」は2026WBCでも期待の大リーガー・大谷翔平選手の50本塁打、50盗塁の超人的な金字塔だが、もう一つの意味も思う。少子高齢化の日本は平均年齢が約50歳、さらにコメの一人当たり年間消費量が50キロにまで落ち込んでいる現実だ。高齢化とコメ離れは今後の農政展開の重要な課題となる。
「3兆円」は農林水産業の年間予算に相当する。その1割、約3000億円が水田転作関連。「3兆円」の“壁“を突破するため、別途、JRAから5年間2兆5000億円の予算を確保して「農業構造転換集中期間」の構造対策を進めていく。「3兆円」は過度の円安を是正するため財務官が為替介入する財政規模とも匹敵する。1発の円安是正の為替介入で「3兆円」。これが国民の食料を担う農業予算と同じとなると、やはりもっと増やすことが必要ではないか。農水省は新たな財源探しを迫られている。1ドル160円台乗せを阻止するため、直近の2026年5月連休時の円安是正の為替介入は農業予算「3兆円」をはるかに超えた「5兆円」ともされる規模だ。
「13%」の数字は深刻だ。日本経済の構造的な課題を表す。まず、資源小国の日本にとってエネルギー自給率が約13%。原発再開をどうするのか、いや再生可能エネルギーをもっと有効に活用できないかなどの議論は当然だ。もう一つの「13%」は飼料自給率、中でもトウモロコシなど濃厚飼料自給率の数字だ。自給飼料問題は日本農業最大のアキレス腱でもある。
戦後農政という長いスパンで「食農クライシス」を考えると、米国の対日食料戦略が続き、「令和のコメ騒動」の淵源もそこにあることが分かる。戦後の米国による占領政策は、沖縄の基地問題などの課題を残しながら一定期間で終わったが、いわば日本人の「胃袋占領政策」は続いていると見るべきだ。
3人の「農業キッシンジャー」
3人の「農業版キッシンジャー」ともいえる人物が重要な役割を果たした。小麦のリチャード・バウム、大豆のジョージ・ストレーヤー、食肉・飼料作物のクラレンス・バンビーだ。1961年の農業基本法成立前後に3人の農業キッシンジャーの活動が本格化する。その意味で「61年基本法」は、米国の食料戦略も前提にした日本農業の「青写真」を描いたと言えるかもしれない。先述した3つの数字「3兆円」「13%」「50-50」とも密接に絡む。コメは米国産小麦のパンに需要を奪われ、米国産トウモロコシは現在の輸入飼料依存型畜産をつくり、濃厚飼料自給率13%というとんでもない低い数字を招いた。
そして農政は今、輸入依存度の高い品目の自給率を挙げる3品目に、小麦、大豆、飼料作物を挙げる。3人の農業キッシンジャーが標的とし米国依存度が高いまさにその3品目だ。農政の矛盾を表していないか。
「4大転機」不足払い・雪印受乳削減・ガット合意・改正畜安法
1917年の明治、森永、1925年の雪印の3大メーカーが、ほぼこの100年前後に創業した。いくつかの関連著書から「昭和百年」と農政・酪農を振り返りたい。軸は酪農乳業の「3大転機」となった酪農不足払い制度、雪印需給削減事件、改正畜安法だ。
筆者の2025年7月の新著「激変!農政のゆくえ」(kkベストブック刊)は、「小泉劇場再び」をはじめ最も早く社会問題になった「令和のコメ騒動」の真相を探った農政ドキュメントだ。同著で米と牛乳の主軸2品目を取り上げた。昭和100年と農林省創設(1925年)と重なることから「百年の誤読」、つまりは農政が1世紀にわたり“読み違え“と指摘。第3章「ミクルのミライ」では改正畜安法の致命的欠陥と今後の酪農乳業も展望した。全体を俯瞰するなら「日本酪農産業史」(前田浩史、農文協)が参考になる。地方乳業史の記述が著者独自の視点だ。客観的な記述を心掛けているが、実際の酪農乳業史は、生産者と乳業の激突の歴史の時期も長い。
総合乳価要求と不足払い「片肺飛行」
今年で60年となる1966年の加工原料乳補給金制度を含む酪農不足払い法は、特に北海道酪農の礎となった。乳業で恩恵を受けたのは雪印だ。制度発足前後の内実は「中央酪農会議50年の足跡」の関係者座談会に詳しい。
酪農振興、不足払い法と1962年中酪設立は表裏一体の関係にある。中酪創設50年時に、筆者は酪農乳業界の“生き証人“であり旧知の西原高一・元副会長に当時の状況をインタビューした。西原氏は「不足払いで飲用を含め総合乳価を求めたが、結局は加工原料乳に限定された。コメの財政負担が問題となり、政府が酪農不足払いは「第二の食管」になりかねない」と危惧したためだと証言した。
その西原氏の上司で、中酪初代事務局長でJA全中常務・専務を歴任した「ミスター農協運動」山口巌氏の著書「緑の旗の下に」(協同組合通信社)に酪農への熱い思い、不足払い法、農協牛乳の創設など農民自ら加工・販売まで含む農民資本の大切さを説いた。同著で「乳業メーカーはパッカーだ」と、乳業への不信感も吐露している。山口氏は全中中興の祖で第4代会長・宮脇朝男氏の懐刀となった。理論家として名をはせ、農業者の利益を代弁し政治家や財界と互角に渡り合った熱血漢だ。酪農は山口氏を抜きに語られない存在である。筆者は同氏と酪農問題の話をしたことはないが直接、「これからは若い君らの時代だ。頑張りなさい」と激励されたこともある。
「全中は反対」記事の一知半解
「昭和百年」を迎えた中で、歴史は正確に伝えられなければならない。業界紙の日刊酪農乳業速報の4月2日付講演会の連載記事「不足払い法制定の舞台裏」の中で「全中も反対だった。専門農協に集乳権を奪われるというのが理由だが」とあるのは、間違いだ。ことの本質を理解していない証しでもあろう。むしろ反対は大手乳業で、先の中酪・西原氏の証言にあるように農業団体は「飲用も含む総合乳価への不足払い導入を求めていた」のだ。補給金対象を加工原料乳に特化することで、後々に飲用乳価交渉での紛争の火種となっていく。つまり不足払い法は出発から「片肺飛行」を余儀なくされたのだ。
一楽照雄と中酪初代事務局長・山口巌
山口氏は先述の著作で農水省の桧垣徳太郎畜産局長(当時)から「ガンちゃん、そんなに欲張るなよ。それを言うと両方ともパーになるよ」となだめられた。「ガンちゃん」とは山口氏の愛称。「両方パーになる」とは飲用含む不足払いと加工限定の不足払い両方とも実現しなくなるとの意味だ。決して全中、中酪など農業団体が総合農協と専門農協の利権争いで「不足払い反対」などではない。
付け加えるなら、当時の酪農振興で触れるべき人物に一楽照雄氏を忘れてはならない。農林中金、全中の役員を担い、全国の農業団体で酪農振興をいち早く唱え、山口氏を中酪事務局長に据えた人物でもある。協同組合運動、有機農業などの理論的な旗振り役で、地道な運動の大切さをとえた「暗闇に種を蒔くが如し」の箴言を残した。一楽氏は、今では有機農業の先達として戦後農政史に名を残すが、早くから酪農振興を掲げた。後に有機農業の理論的支柱になったのは、今でも問われる循環農業である土づくりと「耕畜連携」「有畜農業」の必要性を誰よりも理解していたからだろう。一楽氏の偉業は、雪印の創始者、デンマーク循環農法を礎に日本酪農の展望を「健土健民」の4文字に凝縮した先見の徒・黒沢酉蔵とも重なる。
不足払い法に伴う北海道酪農と共に発展し業界1位になった雪印乳業(現在の雪印メグミルク)。その軌跡をつづった「健土健民の百年」。第5章「北海道における大幅な受乳削減」
は同社の立場からその時の経過を記す。筆者は1980年6月の「雪印受乳削減」直後に、酪農家の読者が多い日本農業新聞北海道版で「不足払いへの乳業の反乱」と、制度との関連で大局的な記事を書いた。さらに、道酪農の立志伝中の人物で、「健土健民」を掲げた同社創業者の黒沢酉蔵氏に入院中の札幌医科大を訪ね単独インタビューした。写真をフラッシュで撮ろうとすると、同行した酉蔵氏次男でサツラク農協・黒沢信次郎組合長に「フラッシュはだめだ。おやじの寿命が縮む」と制止されたのを思い出す。結果的に、黒沢翁に合った最後の記者になった。
「不足払いの反乱」雪印受乳削減の強行
同著の中で「雪印受乳削減、専門紙のスクープ」ともある。1980年6月12日付の業界紙の記事を指す。書いたのは日刊酪農乳業速報北海道支社の門博朗記者だ。同著編集に業界紙の記者がかかわったからだろう。誰も知らないことだが、実は筆者は掲載の前日、6月11日夕方に門氏と会い、受乳削減の全貌を知った。要するに、二人の記者だけが事前に知っていたことになる。
同著では触れられないが、受乳削減事件、さらには相次ぐ不採算工場の閉鎖は、結果的に雪印の「落城」、終わりの始まりを用意したといえる。ホクレンはリスク分散で北海道農協乳業(現在のよつ葉乳業)への配乳傾斜を加速していくからだ。強引な雪印の経営判断はのちの食中毒事件、牛肉偽装事件などを経て「雪印解体」を迫られた深淵ではなかったのか。
自由化・大規模化・規制緩和「3点セット」と「2015年体制」
今から33年前、1993年12月のガット農業交渉妥結は日本農業に「農業総自由化」を迫ることになる。当時、筆者は日農ジュネーブ特派員としてガット最終合意を取材した経験を持つ。
ガット合意は、まず主食コメに大きなインパクトを与える。1993年は歴史的に重要な出来事が重なった。記録的冷夏に伴う「平成のコメ騒動」、「自民党の野党転落」、そして「コメの部分開放」を含むガット農業交渉合意だ。61年基本法で明記した牛肉、乳製品、果樹といった「選択的拡大品目」の一層の市場開放につながり、その後の日豪FTA、TPP交渉、日米貿易協議合意の「導火線」となっていく。
「欠陥」改正畜安法と需給混乱
改正畜安法は、「2015年体制」とされる当時の「安倍一強」による「官邸農政」のもとで強行された。同法は、「官邸農政」による農協法改正の延長線に位置づく。一元集荷多元販売の現行指定団体制度の廃止、生乳流通自由化を内容とした。
その結果、北海道を中心に非系統の生乳自主流通グループが取り扱いを拡大して、生乳需給調整の実効性が大きな課題となる。見直しの転機となったのは2025年度。生乳需給緩和、脱脂粉乳の過剰在庫問題が放置できない状況となった。農水省は民間のJミルク基金による脱粉在庫削減に呼応する形で、需給調整基金への参加を補助事業の条件とする「クロスコンプライアンス」に踏み切った。
冒頭に挙げた「未来としての過去」の視座で、「官邸農政」による改正畜安法の推移を見れば、おのずと今後の「解」が見えてこないか。持続可能な酪農経営には、「需給」安定が何よりも重要で、それは全国協調で進めなければ実効性が「担保」できないということを物語る。流通自由化の改正畜安法とは逆の流れこそ求められる。
60年前になぜ酪農不足払い法を作ったのか。「未来としての過去」から「昭和百年」「平成30年農政史」と農政・酪農を踏まえ、「需給安定」確立と需要拡大が期待できる官民挙げた国産チーズ振興が今後の大きな宿題だろう。
(次回「透視眼」は8月号)